マラソンランナーとして
私がマラソンを始めたのは 正行兄貴の影響に他ならない。
兄は幼い頃から 走り回るのが好きであった。そんな兄が中学校に入学して、一つの事件が起きた。それは全校マラソン大会で一年生にして優勝してしまったのだ。
その後、兄は陸上部に入り、豊島区の大会でも殆ど常に優勝し、豊島区中学生記録をぬりかえていった。
高校に行ってからは思ったほど記録は伸びなかった。兄は選手としては早咲きタイプだったといえる。
私は高校を卒業すると、兄の会社に入社し、その頃からマラソンを始めることになった。
当時、兄の会社の陸上部は 兄をエースに、実力者が揃い、足立区の駅伝大会では常に優勝していた。
私は駅伝ではBチームで それなりに頑張っていた。
そして 憧れのフルマラソンも完走し、目標を失いかけていた時期があった。
そんな時、1986年ある事件が起きた。あるオートバイ屋の定員に声を掛けられたのだ。
「今度、オートバイレースの3時間耐久レースがあるのですが、私とタッグを組んで出場しませんか?」
結局、そのレースに出場し、初レースにして5位入賞を果たし、いきなり表彰台に上がった。
それ以来、マラソンより、オートバイレースがメインとなる生活が続いた。
そして1986年の年末に マラソンを止めなくてはいけない決定的な出来事が起きた。
その頃、本格的なモトクロスのレースも始めていたのだが、練習中、ジャンプを失敗し、転倒。右足のリフフラン間接がバラバラになる複雑骨折により、長期の入院生活を余儀なくされ、今も後遺症があり、常に右足を左足がかばうので、左足は右足より太い。
その事故以来、マラソンから20年間も離れることになった。
35歳から39歳まではキックボクシングをしていたが、選手生活を終えると、ジムからも離れていった。
40歳を過ぎると、運動する気も無くなり、仕事でクルマを運転しているか、寝ているかの生活で、殆ど寝たきり状態となる。
一方、あのマラソン時代から20年経つが、兄は今でも走っている。
昔は常に輝かしい表彰台に居て、自己ベスト更新を目指していた兄だったが、今は一体 何の目的で走っているのだろうか?
家でもパソコンで千代田走友会のHPを見たりしている。私も つい「お気に入り」に入っている千代田走友会のHPを覗く。
自分より高齢な方が元気に走っている姿に感動!そのうちに自分も走りたくなった。
マラソンは何の道具も要らず、誰でも気軽に出来る。そして生涯出来るスポーツである。更に マラソンは私のマイスポーツの原点でもある。
自己記録票赤字は自己ベストタイム
| 年月日 | 年齢 | 大会名 | クラス | 記録・タイム | コメント |
| 82・7・20 | 18 | 自衛隊体験入隊・体力測定 | 100M | 13・9秒 | |
| 82・7・20 | 18 | 自衛隊体験入隊・体力測定 | 1500M | 5分33秒 | 50人中2位 |
| 83・春 | 19 | 月例 赤羽マラソン | 2000M | 7分05秒 | 正兄は5分52秒のベストタイム |
| 83・7 | 19 | 月例 赤羽マラソン | 2000M | 7分19秒 | |
| 84・1・8 | 20 | 足立区民 駅伝大会 | 5000M | 19分02秒 | 大日精化Bチーム2区 |
| 84・1・8 | 20 | 足立区民 駅伝大会 | 5000M | 19分40秒 | 大日精化Bチーム5区 2回走った。 |
| 84・2・26 | 20 | 月例 赤羽マラソン | 5000M | 20分20秒 | 腹痛に苦しむ。 |
| 84・3・11 | 20 | 江東5区 駅伝大会 | 5000M | 19分30秒 | 大日精化 5区を走る。チームは7位 |
| 84・3・25 | 20 | 月例 赤羽マラソン | 5000M | 20分45秒 | 腹痛に苦しむ。 |
| 84・4・15 | 20 | 川口 記録会 | 5000M | 19分27秒 | この日、正兄は15分30秒の好タイム |
| 84・7・22 | 20 | 月例 赤羽マラソン | 5000M | 20分04秒 | 気温が高く きつかった。 |
| 84・8・26 | 20 | 月例 赤羽マラソン | 5000M | 19分56秒 | |
| 84・9・23 | 21 | 月例 赤羽マラソン | 5000M | 18分58秒 | 初の18分台、2位に入る。 |
| 84・10・20 | 21 | 代々木グランド タイムトライアル | 5000M | 19分59秒 | 正兄にペースメーカーをして貰う。 |
| 84・12・9 | 21 | 足立ロードレース | 5000M | 18分35秒 | 腹痛に苦しむが、疲れず自己ベスト、35位 |
| 85・1・6 | 21 | 代々木グランド タイムトライアル | 1500M | 5分09秒 | 正兄にペースメーカーをして貰う。 |
| 85・1・27 | 21 | 足立区民 駅伝大会 | 5000M | 18分39秒 | 大日精化Bチーム1区を走る。後半 腹痛に苦しむ。 |
| 85・2・24 | 21 | 豊島区民ロードレース | 10000M | 37分26秒 | ベストコンディションで12位、正兄は1位 |
| 85・3・24 | 21 | 第28回 信毎マラソン | フルマラソン | 3時間15分22秒 | 前半、驚異的なペースで飛ばすが、後半は筋肉痛に苦しむ。 |
| 85・4・28 | 21 | 第100回 月例 赤羽マラソン | 5000M | 18分33秒 | フルマラソンの疲れが抜けなかった。 |
| 85・5・2 | 21 | 代々木グランド タイムトライアル | 400M | 1分12秒 | |
| 85・5・2 | 21 | 代々木グランド タイムトライアル | 300M | 51秒 | |
| 85・5・2 | 21 | 代々木グランド タイムトライアル | 200M | 34秒 | |
| 85・5・26 | 21 | 月例 赤羽マラソン | 5000M | 18分59秒 | 前半、17分ペースで飛ばすが、後半、腹痛に苦しむ。 |
| 85・6・9 | 21 | 第6回 時の記念日マラソン | 30000M | 2時間04分03秒 | フルマラソンとは違い、イーブンペースで行った。 |
| 85・9・22 | 22 | 月例 赤羽マラソン | 5000M | 22分20秒 | 体調不良 |
| 85・9・23 | 22 | 豊島区民大会 | 5000M | 18分28秒 | 腹痛に苦しむが 何故か自己ベスト |
| 85・10・3 | 22 | 豊島区 第4地区 運動会 | 約2・5K位 | 2位 | 1位は正兄。兄弟でワンツーフィニッシュ! |
| 85・10・6 | 22 | 足立区民大会 | 5000M | 20分13秒 | 腹痛に苦しむ。 |
| 85・12・8 | 22 | 足立区 ロードレース | 5000M | 17分34秒 | ベストコンディション。夢の17分台。 |
| 86・1・26 | 22 | 足立区民 駅伝大会 | 5000M | 17分59秒 | 息苦しかったが17分台を出す。 |
| 年月日 | 年齢 | 大会名 | クラス | 記録・タイム | コメント |
| 06・7・2 | 42 | 千代田走友会 タイムトライアル | 5000M | 29分28秒 | こんなに辛く長い5キロは初めてだった。 |
| 06・7・9 | 42 | 皇居 自己タイムトライアル | 5000M | 29分59秒 | 本気ではなく、気持ちよく流した。 |
| 06・8・3 | 42 | 皇居 自己タイムトライアル | 5000M | 27分59秒 | ランニングシューズを試す。かなり楽に走れるようになった。 |
| 06・8・6 | 42 | 千代田走友会 タイムトライアル | 5000M | 24分27秒 | シューズが良く、ペースメーカーにも恵まれた。でも暑かった。 |
| 06・8・27 | 42 | 月例 赤羽マラソン | 5000M | 23分38秒 | 息切れが酷く、苦しい闘いであった。 |
| 06・9・10 | 42 | 千代田走友会 タイムトライアル | 5000M | 24分05秒 | 何故か楽に走れた。 |
| 06・10・1 | 43 | 千代田走友会 タイムトライアル | 5000M | 23分35秒 | 気温も良く、日差しも無い絶好のコンディション。 |
| 06・10・21〜06・10・22 | 43 | 千代田走友会 箱根合宿 | 箱根湯本コース | 完走 | 今の自分では完走は困難であったが多くのチームメイトに励まされ、完走出来た。 |
| 06・11・5 | 43 | 千代田走友会 タイムトライアル | 5000M | 23分16秒 | シューズのサイズを5mm大きくしたが結果は成功。この日は徹夜明けで心配されたが、何とかベストタイムを更新。 |
| 06・11・26 | 43 | 月例 赤羽マラソン | 10000M | ||
| 06・12・24 | 43 | 月例 赤羽マラソン | 10000M | ||
| 年月日 | 年齢 | 大会名 | クラス | 記録・タイム | コメント |
| 07・1・7 | 43 | 千代田走友会 タイムトライアル | 5000M | ||
| 07・2・4 | 43 | 千代田走友会 タイムトライアル | 5000M | ||
| 07・3・4 | 43 | 千代田走友会 タイムトライアル | 5000M |
今後の展開
憧れの千代田走友会に入り、今年10月の合宿に参加も決まり、今は皆様に迷惑を掛けないで走れるレベルまでなりたいと思います。
仕事だけの人生では物足りません。何の利害関係も無く、憩いの場、千代田を大切にしたいです。
皆様も どうか気軽に お声をお掛けください。お互い 楽しみましょう。

2006年7月2日、千代田との出会い。寝たきり状態から いざ出陣!
楽しく走るコンセプト
私自身、走ることは 決して好きな方ではない。はっきり言ってしんどい。
そんな私の新たなコンセプトは「金を掛けずに楽しく走る」ことである。
記録から開放され のんびりマイペースでランニングを楽しんでいると、足元に咲く名も無き花たち、季節、景色を楽しむ感受性が磨かれる。
貧乏人の娯楽としても最適である。私は交通費を最小限に考え、東京都内で楽しく走れるランニングコースを開拓したいと考えている。
タクシードライバーとしての地理感も生きてくる。
| コース名 | 主な区 | 交通費(往復) | コースの距離 | コメント |
| 皇居 | 千代田区 | 380円 | 一周5K | 東京で最も有名なコース。信号も無く、景観も良く、。一周5Kと分かりやすい。 |
| 江戸川橋公園 | 新宿区 | 自走 | 片道約1・5K | 神田川のほとりを行く、江戸川橋から高戸橋までのコース。信号も無く、桜並木が続く。私のホームグランド。 |
| 首都高の高架下 | 豊島区 | 自走 | 片道約1K | 自宅前の首都高の高架下。東池袋交差点から護国寺西交差点までのコース。雨の日のランニングに最適。信号は3箇所ある。 |
| 神宮外苑 | 新宿区 | 320円 池袋駅まで自走。信濃町駅まで | 一周約1・5K | トラックを大きくした楕円コース。信号も無く、木が茂り景観も良い。SB食品の瀬古監督をよく見かける。 |
| 荒川河川敷 | 北区 | 320円 池袋駅まで自走。浮間舟渡駅まで | 自由 | 浮間舟渡駅からのスタートで駅前の浮間公園が綺麗。広大な荒川を見ながらのコースで、コースは何処までも続いているので距離は自由で本人次第。 |
↑交通費は自宅(有楽町線・東池袋駅)からの計算になります。
フルマラソン42・195キロへの挑戦
大会名 第28回 信毎マラソン
日時 85年3月24日
会場 長野市営陸上競技場

フルマラソン、それは市民ランナーにとっては共通の永遠の夢である。
普通フルマラソンを完走しようとすると多くのランナーは海外の大会に行く。
それは国内の大会では交通規制の問題で よほど速く走らないと失格となってしまい完走は極めて困難であるからだ。
しかし貧乏暇無しの私にとっては国内レースという選択肢しかなかった。
また、完走の門を広く開けている市民マラソンは数千人もの参加者で溢れ、スタート地点にたどり着くだけでも10分以上掛かってしまう。
私は自分の完走タイムにも興味があり、ハイレベルな大会を希望した。
私が出場した信毎マラソン大会は先ず最初の5キロを20分以内に通過できないと失格になる。それだけでも いかに完走が困難かが分かるであろう。
因みに 5キロのベストタイムが18分台、つまり最初の5キロを ほぼ全力疾走しないと失格になる。仮に20分以内で通過出来たとしても 次の関門10キロ42分が待っている。
因みに この大会は日本陸上競技連盟登録競技者しか出場出来ない。私は登録競技者ではないが、あるコネで特別に出場してしまったのだ。(チョンボ)
日本陸上競技連盟規則による失格になる最低通過タイム
| 距離 | 失格になるタイム | 私の実際の通過タイム | 5キロごとのタイム | コメント |
| 5キロ地点 | 20:00 | 0.18:55 | 18:55 | 好調で信じられないハイペース。 |
| 10キロ地点 | 42:00 | 0.37:57 | 19:02 | ペースは衰えない。 |
| 15キロ地点 | 0.57:57 | 20:00 | 完走を考え、自らペースダウン。 | |
| 20キロ地点 | 1.19:00位 | 21:00位 | 足が重くなり、更にペースダウン。 | |
| 中間点 | 1.40:00 | 1.21:00位 | もう半分か。完走に自信。 | |
| 25キロ地点 | 1.41:00位 | 22:00位 | 足が動かなくなるが、かまわず走り続ける。 | |
| 30キロ地点 | 2.05:00位 | 24:00位 | 完走を考え、自ら更にペースダウン。 | |
| 35キロ地点 | 2.40:00 | 2.35:00位 | 30:00位 | 足が固まって動かない。休まず歩き続ける。地獄の5キロ。 |
| 40キロ地点 | 3・02:00位 | 27:00位 | 足が動き始め、再び走る。完走を確信する。 | |
| ゴール | 3時間30分位 | 3.15:22(正式タイム) | 最後はペースを上げ、ラストスパート!! |
試合数日前、近所の薬局のオジサンから「救心」を貰い、試合直前に飲むように助言された。
前日には長野市近くに住む兄の友人宅で泊まり、完璧な調整ができた。
因みに兄はマラソンランナーで、同じくこの大会に出場する。兄の話では・・・
「まあ、お前が完走する確率は20%ってところかな。でも折り返し地点を過ぎてお前とすれ違う夢を見たよ。」
この折り返しでの再会は現実になるかも気になるところである。

当日は快晴。気温にも恵まれ好タイムが期待できる。
いよいよスタート、音だけの花火?が打ち上げられ、気分はオリンピック選手である。
長野市営陸上競技場から一般道路に出る。白バイが先導し、歩道には多くのギャラリーが手を振る。
気が付くと兄は遥か前方に消え、私は後方の集団に付けた。コンディションは最高だ。救心のお陰か?こんなに早く走っているのに 全く息が上がらない。
やがて気になる5キロ地点が近ずく。腕時計を見ると驚いた。18分台である。こんなハイペースでいいのか?かえって不安になった。
5キロ地点を過ぎると国道18号線、アップルロードを北上する。右手には千曲川。景色も最高で平坦で走り易い。
私の前には身長150センチ位のチビの選手がいて、彼をペースメーカーに付いていった。
間も無く10キロ地点、タイムは37分57秒、ペースは依然落ちていない。たとえ10キロだけを全力で走ったとしても私の力では37分台は無理である。
遅れる選手を次々に追い越して行く自分が かえって怖い。これで良いのか?不安になる。
私は10キロを過ぎて一つの決断をした。後半のことを考え、ペースダウンすることにしたのだ。チビの選手は前に消えて行ったが、それでもかなりのペースで15キロ地点を目指す。
やがて立ガ花橋を渡り、千曲川と別れた。15キロ地点に私はスペシャルドリンクを置いていた。スポーツドリンクだったが少し飲むと捨てた。15キロを57分台、ペースはそれほど落ちていない。
しかし、ここから足が重くなり、徐々にペースは落ちていった。
20キロ地点が近ずくと、歩道に置いてあるラジオから「今、先頭集団が折り返しました。」というアナウンスが聞こえた。やがて先頭集団と擦れ違った。
20キロ地点ではオレンジジュースをたっぷり飲んだ。タイムは1時間19分、充分完走が可能な位置に居る。
そして夢にまで見た兄との再会を果たした。兄が叫んだ。
「おー!頑張れ!もうすぐ折り返しだ!」
私は うなずき、手を振るのがやっとであった。
折り返し地点を過ぎると多くの選手が走れずに倒れている。私の足も更に重くなり、自由に動かなくなっていた。しかし、一旦足を休めたらどうなるかを私は本能的に知っていた。
やがて25キロ地点に置いていたスペシャルドリンクを口にするが、とうとう足の限界になった。完全に走れない。それでも足を休めることなく早や歩きでしのぐ。歩いている選手を次々に交わし順位を上げて行った。
30キロ地点を2時間5分で通過。ここで水を2杯飲み、1杯を頭からかぶった。しかし足は動かず歩くのがやっととなった。
「やっぱり、完走は無理だ!」と悟ったが、考えを改め・・・
「最後まで諦めず、何処まで行けるか最後まで闘おう。」と決心する。
30キロ地点からは休まず、ひたすら歩き続けた。35キロ地点の時間制限2時間40分が気になり、私の心を支配していた。
左手に見える千曲川は私の目には入らなかった。いくら歩いても35キロ地点は見えない。気を失いかけていた。
制限時間あと5分というところで遂に35キロ地点にたどり着いた。ここでアンパンとオレンジジュースを口にし、ゴールへと向かった。
間も無く、無性に、死ぬほど水が飲みたくなった。
ちょうど良く、道沿いの店のオバサンが「ウチで水を飲んできな」と言ってくれ、豊富な水にありつけた。こんなに美味い水は初めてだった。
しばらくすると歩道から三人の子供が私と握手しようと手を出してきた。私は一人ずつ手を叩いてあげた。
不思議なことに足が生き返ってきた。再び私は走り始めた。
「完走出来る!」と私は確信した。
40キロ地点でアンパンと水の最後の補給をしてゴールを目指した。
しかし、ここまで来て完走を断念する選手が何人も倒れ込んでいる。
彼等を追い越すと、右手にゴールである長野市営陸上競技場が見えてきた。
競技場に入り、ラスト100メートルの直線でゴールで待っている兄の姿が見えた。
最後はラストスパートをする余裕まであった。
本当に楽しい42・195キロであった。正式タイム 3時間15分22秒

ゴールである長野市営陸上競技場。ゴール前1キロでの映像
オートバイレース暦
ボス猿との壮絶な闘いの後 私の闘いの場はバイクレースへと移って行った。

泥まみれの私と今村氏。
85スズキRM250 セーフティパーク埼玉にて
エントリーした全レースの結果
| 大会名 | 日時 | クラス | マシン | パートナー | 会場 | 結果 |
| 86YESSサバイバルエンデューロ第一戦 | 86・4・27 | 3Hオープン | 85DT200R | 今村 秀勝 | 我孫子特設コース | 5位入賞 |
| 86YESSサバイバルエンデューロ第二戦 | 86・7・6 | 3Hオープン | 85DT200R | 今村 秀勝 | 我孫子特設コース | 入賞外 |
| 86YESSTokyoMP-12チャンピオンレース第一戦 | 86・9・27 | Sー50 | 86YSR50 | 今村 秀勝 | 筑波ジムカーナーコース | 4位入賞 |
| 86YESSTokyoMP-12チャンピオンレース第二戦 | 86・10・19 | Sー50 | 86YSR50 | 今村 秀勝 | 筑波ジムカーナーコース | 入賞外 |
| 86YESSサバイバルエンデューロ第三戦 | 86・10・26 | 3Hオープン | 85DT200R | 今村 秀勝 | 我孫子特設コース | 8位入賞 |
| 86MFJ青少年モトクロス選手権 | 86・12・7 | ノービス250CC | 85RM250 | 単独 | セーフティーパーク埼玉Aコース | 6位入賞 |
| 86マイウェイエンデューロ最終戦 | 86・12・21 | 5Hオープン | 85CR80RU | 豊島 | セーフティーパーク埼玉ABコース | リタイヤ |
| 87YESSサバイバルエンデューロ第三戦 | 87・9・6 | 3Hオープン | 85DT200R | 今村 秀勝 | 我孫子特設コース | 入賞外 |
| 88YESS MP-12in筑波 | 88・1・24 | Sー50 | 86YSR50 | 今井 | 筑波サーキット本コース | 入賞外 |
| 89YESSレッツエンデューロ第二戦 | 89・7・9 | モディファイ | 89KDX200SR | 今村 秀勝 | 尾瀬オフロードパーク | 14位入賞 |
| 89YESSチャレンジCUP | 89・9・3 | 3Hオープン | 89KDX200SR | 石井 晃男 | 茂原モータースポーツランド | 6位入賞 |
| キャラメルCUP89スプリント予選 | 89・9・17 | 126CC以上 | 89KDX200SR | 単独 | セーフティーパーク埼玉Cコース | 6位通過 |
| キャラメルCUP89スプリント決勝 | 89・9・17 | 126CC以上 | 89KDX200SR | 単独 | セーフティーパーク埼玉Cコース | 3位入賞 |
| 89茨城オフロードチャンピオン選手権 最終戦 | 89・9・24 | 1Hオープン | 89KDX200SR | 単独 | 茨城スポーツランド | 優勝 |
| 89YESSレッツエンデューロ最終戦 | 89・10・8 | モディファイ | 89KDX200SR | 単独 | 尾瀬オフロードパーク | 9位入賞 |
| 89YESSチャレンジCUP | 89・12・3 | 3Hオープン | 89KDX200SR | 今村 秀勝 | 茂原モータースポーツランド | 13位 |
| 89スプラッシュCUP | 89・12・31 | 3Hオープン | 89KDX200SR | 今村 秀勝 | セーフティーパーク埼玉Aコース | 7位 |
| 90トライデューロ | 90・1・7 | オープン | 89KDX200SR | 単独 | 山梨スポーツランド | リタイヤ |
私のライダー人生において 最も力を注いだのは トレールバイクによる富士山登頂計画である。
日本最高地点 標高3776mへの挑戦

オートバイで富士山を登るのが夢だった。
富士の砂漠はきつかった。
砂地獄では もうやめたいとも思った。
しかし日本最高地点の存在が俺を燃えさせる。
頼むぜ!セローよ!
俺を振り落とさず走ってくれ。
標高3776mの彼方から見える素晴らしい下界と青い空を
俺はやっぱり見たいんだ。
計画の目的 史上初のノーマルのトレール車(一般公道を走るオートバイ)での富士山登頂を目指す。
日時 (1987年)昭和62年10月10日(土)
使用するバイク 86年製 ヤマハ セロー225

全装備。防寒着、予備のガソリン等。
オートバイで数々の冒険に挑んだ私は この日 最終目標というべき 日本最高峰、富士山登頂を愛車セローで挑んだ。
御殿場側の麓に位置する太郎坊からセローを発進させたのは9時半のことで 持ち物といえば 僅かな食料と水、そしてコンパスと地図といったところだ。
太郎坊の樹林帯を抜けると、そこには富士の広大な砂漠が広がっている。ここは高山植物が僅かに存在するだけで山頂まで木ひとつ生えない不毛の土地。下界への深い強襲を覚えずにはいられない。
この砂漠を走り切るにはアクセルを全開にし続ける勇気が必要だ。サード全開で速度は60キロに達する。
天気は最高で遥か彼方の山頂を見る事も出来る。近くを目にすると やがて一つ目の山小屋が近づく。この辺から傾斜が極端にきつくなりセカンド、ローとシフトダウンし、山小屋にたどり着いたところで遂にセローの限界となった。

コンクリート製の二つ目の山小屋。「2・8合目 環境庁」と書かれていた。
ここからはキャンバー走行を始める。少し登ると、白いコンクリート製の二つ目の山小屋に到着。ここで初の休憩をとった。ここまで来ると高山植物すら存在しない凄まじい世界だ。今までの冒険もきつかったが大自然の動植物、小川のせせらぎや小鳥のさえずりに心が和んだものだがこの山には そのようなオアシスは無く、大地は火山灰のため水源すら無く生命反応を感じず強い孤独感に襲われる。

キャンバー走行に苦戦をしているバイクを発見。眼下に山中湖を望む。
10分足らずの休憩後 再びキャンバー走行で前進を勝ち取ろうと闘う。少しでも気を抜くとマシンはすぐに崩れ落ちる。遂にオーバーヒートしてしまい、エンジンを休ませる。再び発進したが今度は岩に衝突し転倒。雄大な富士との格闘が絶え間なく続く。気が付くと行く手に三つ目の山小屋が見えて来た。
しかしセローの必死の前進もここまでだった。ここからは傾斜が30度近くもあり 大地には大きな岩が無数に立ちふさがる。キャンバー走行は困難を極め、エンジンも気圧のせいで悲鳴をあげ すぐオーバーヒートし、タイヤも深みにはまる。
それでも闘いは続けられた。しかしセローは殆ど前進できず、強引な突破を試みたがチェーンははずれ、スポークは折れてしまい、もうどうすることも出来なかった。それでも応急処置を済ますと再び闘いは続けられた。
難攻不落の三つ目の山小屋は、13時に遂に落ちた。この廃虚と化した山小屋には「5合目 標高2590m」と表示されており「あと1186mか」と自分自身を励ますことができた。
この小屋を跡にすると間も無く、スイッチバックのブルドーザー道と合流した。
この道は測候所や山小屋に資材を運ぶ目的で作られた道でチャタピラ車しか登れない設計になってオートバイでは大変な苦労を強いられることになる。
6合目の四つ目の山小屋で雲海を眺めながらの昼食を楽しんだ。昼食中も登頂成功の夢を膨らませ早々と出発した。
しかし、再び苦しい闘い。ロー全開のため すぐオーバーヒート。エンジンを休ませ再びオーバーヒート。ひたすら その繰り返しだった。
「セローよ!頼むから山頂までもってくれ。」と願いながら闘い、7合目、8合目、そして9合目とクリアし遂に登頂も目前となり戦いもフィナーレを迎えようとしていた。
山頂は突然現れた。視界が一挙に開けた。
「セローよ、よくやった。」
左手には日本最高地点である剣が峰の富士山測候所がそびえ立っている。

登頂直後の映像。富士山測候所をバックに。
進路を測候所とは逆の右手にとり、左手に火口、右手に下界を見下ろしながら山頂を一周することにした。
下界に目をやると、今まで登って来たルートを一望出来る。

伊豆が岳の岩場。
伊豆が岳付近の岩場で苦戦したものの そこを突破すると広々とした大地が広がっていて もう不安は無かった。下界の富士五湖がキラキラと輝く光景は夢のようだった。

山頂から富士五湖、富士吉田市を望む。
体育の日ということもあり 数人の登山者が居て びっくりした様子でこちらを見ていた。
彼等にしてみれば排気ガスの無い世界を求めて自らの足で苦労してここまで来たのに ここにもオートバイが排気ガスを出して走っているのだから決して愉快ではない筈だ。今まで登頂だけを考えて来たが、登って改めて罪の意識を感じた。
それから俺は遂に最後の難所、そして目的である「日本最高地点」剣が峰をスピードをつけ一気に駆け登った。測候所の前でセローを止めると最高の充実感を味わった。

日本最高地点 剣が峰の富士山測候所
遂に俺はセローと共に日本最高地点の空気を吸うことが出来たのだ。
もう16時半のことで 日はすっかり西に傾いていおり下山へと向かった。もう日が暮れてしまう。
今まで苦労に苦労を重ね登って来たルートをあっけなく滑り降り、麓では傾斜を直滑降で90キロの猛スピードで下り、わずか20分で麓の太郎坊まで帰還すると もうすっかり宵の口だった。
最後にセローよ。本当によく頑張ってくれた。ありがとう!


オフロードバイク雑誌「BACK OFF」より
キックボクサー時代1999年〜2004年
私の健康法は格闘技で身体を動かしストレスを発散させる事が基本ででした。
そんな私が続けていた格闘技は「キックボクシング」です。キックは五体全てをフルに使いスピード感、スリル感を楽しめるからです。確かに空手等、武道の方が紳士的でカッコいいのですが決まりや上下関係に縛られそうなので自由そうなキックに決めました。
35歳から40歳までしましたが、選手としては37歳から38歳までの短期間でした。
格闘理念
私は人生の格闘家でありたいと思っている。
今の社会は面と向かって闘う勇気のある者が極めて少ないように思える。1対1の喧嘩なんて聞かない。後ろから小学生を殴るとか 強い方に着いて弱い者イジメとか 凶器を使うとか・・・そんなのばかりである。日本の武士道は何処へ行ってしまったのか。
もちろん1対1の喧嘩が素晴らしいと言っているのではない。精神文化が衰退してしまったことが言いたいのだ。
格闘技は単なる野蛮な殴り合いではない。この世界で生きて行くには強い精神力に肉体が必要なのは勿論のこと自己管理能力に礼儀作法も学ぶことになる。この世界で通用している多くのファイターは礼儀正しいことからもうかがえる。
私の格闘理念は 礼儀、健康、強さである。
選手として
キックボクシングジムの練習生の内 試合に出ているのはごく一部で大半は健康やストレス解消を目的としている。
私も当初は試合には興味が無かった。疲れるし痛いし 何よりも怖いし・・・。ある意味 試合は異常な世界だ。何の恨みも無い相手と殴り合い、 それが一体何の意味があるのかと疑問を持つ人も多いと思う。しかし試合でしか分からない事が多いのも事実だ。
試合での心得は勝ち負けを気にせず完全燃焼させること。勝ち負けは結果的で後から付いてくるもので気にしては良い試合はできないからだ。
私は元々試合目的ではなく健康目的であり プロの練習に参加したことも殆ど無いし真面目さが伝わらないかも知れないが自分なりに考えてやってきたつもりである。あるきっかけで試合にでる羽目になったが 試合は一人ではできず多くの先輩たちの手助け無しには成り立たない。本当に今まで良い試合をありがとうございました。
今後は年齢制限でプロのリングには立てませんが これからも自分の闘いの場で頑張って行きます。
経歴
1999年2月1日 小国ジム入会
| 大会年月日 | 大会名 | 対戦相手 | 会場 | 勝敗・結果 | その他 |
| 1983年 2月27日 | 箱根40代ボス猿決定戦 | 箱根39代ボス猿 | 箱根七曲がり | 勝利 | タイトルを返上 |
| 1999年 2月28日 | ライトスパーリングCクラス | 小国ジム | 合格 | 試合ではないが緊張 | |
| 1999年 4月18日 | ライトスパーリングBクラス | 小国ジム | 合格 | ||
| 1999年 5月 1日 | 第6回グローブ空手 防具付きワンマッチ | 大森 研太郎 | 東京武道館 | 判定勝ち | 初の試合 |
| 1999年 5月 1日 | 第6回グローブ空手 防具付きワンマッチ | 杉木 匡弥 | 東京武道館 | 判定勝ち | |
| 1999年11月28日 | NJKFプロテスト 受験 | 中山 宏美(PIT) | 小国ジム | 不合格 | |
| 2000年 3月26日 | NJKFプロテスト 受験 | 新出谷(東京北星) | 小国ジム | 合格 | |
| 2000年 4月23日 | 練習試合 防具付き | 鈴木 芳彦(一心館) | 小国ジム | 1R KO勝ち | |
| 2000年 6月 4日 | 練習試合 | 渡辺 | 小国ジム | 2R 判定負け | 首相撲に苦しむ |
| 2000年11月12日 | 練習試合 | 桑山(一心館) | 小国ジム | 2R 判定勝ち | 37歳対決 |
| 2001年 2月25日 | 練習試合 | 皆川 義彦(PIT) | 小国ジム | 2R ドロー | プロデビュー許可される |
| 2001年 3月20日 | 一心館主催 ショータイム | 増倉 敦士(一心館) | フィリピンパブ | 2R ノーコンテスト | バッテングによる出血 |
| 2001月 4月15日 | NJKF 小国ジム主催興行 | 皆川 義彦(PIT) | CASS | 3R 判定負け | プロデビュー戦 |
| 2001年10月 8日 | NJKF 小国ジム主催興行 | 千島 克彦(東京北星) | CASS | 3R 判定勝ち | プロ2戦 |
| 2002年 1月26日 | NJKF 後楽園興行 | 森 国広(健心塾) | 後楽園ホール | 3R 判定負け | プロ3戦 |
| 2003年 2月23日 | 練習試合 | 小俣 光章(一心館) | 小国ジム | 2R KO勝ち | パンチを封印しキックで勝負 |
| 2004年 2月21日 | プライベート スパーリング | 木浪シャーク利幸 | 小国ジム | 完敗 | 油断してしまう |

ジムでのスパーリング風景。

プロでのデビュー戦。CASSスポーツセンターにて。練習試合でドローだった皆川戦、プロのリングでの決着となった。

プロ第二戦目の千島戦。絶対不利とされ、パンチに頼らず、蹴りも出した。

レバを狙った左ミドルキックだが、見事ガードされる。

試合中は分からないが、多くのセコンド陣に助けられた。感謝!

プロのしての最初にして最後の勝ち名乗り。

プロ三戦目。いよいよ憧れの後楽園ホールでの森戦。1Rでいきなりダウンしてしまう。
ボスザルのトレーニング法
私のトレーニング法は 当研究所の軍事秘密として今まで査察も拒否し厚いベールに包まれていたが プロファイター引退に伴い一般に公開している。参考になれば幸いである。
トレーニングを楽しむ努力をする。
最初から強くなろうとりきむと 楽しくないし続かない。先ずは楽しんで頂きたい。
楽しむゆとりがあった方が アドバイス等も理解し易い。
目的を持つ。
今の時代、目的を探せず、何のために生きているのかさえ分からない若者が多い。反対に目的を持った者は表情も生き生きしており魅力的である。
練習においても目的がないと飽きてしまう。試合を控えた選手は嫌がおうとも練習に身が入り充実する。
試合に勝つという目的は最も一般的ではあるが 初心者や試合に興味の無い練習生であっても目的は不可欠であり目的無き練習は得るモノも半減する。
目的は何でも良いが自分に興味が持てるモノが望ましい。ダイエット、ライトスパーリング出場、ボスザル超え・・・何でも。
最後に目的は期間を定めた方が絶対に良い。「いつの日かこうなりたい。」では具体性に欠ける。今月何キロやせるといった方が具体的に今何をするべきかが見えてくる。
あくまでもマイペースを貫く。
格闘技の練習は 最初はつまらない日々が続く。サンドバックを叩いて喜んでいる時期はすぐ終わり 上達しないイライラする時期が訪れる。
私の経験では日々 少しずつ上達するのではなく ある日いきなり上達する時期が訪れるものでグラフで表すと階段式といえる。
格闘技の一番の才能は継続力と心得ている。ただペースは個人差があるので自分のペースを見つけて欲しい。継続の一番のコツはマイペースを貫くことである。
考えたトレーニングに心掛ける。
ただ厳しいトレーニングに耐えていても限界があり さほど上達はしない。自分独自に考え試してみる心が不可欠だ。
サンドバックでも ただ撃つだけでなく、相手を想定したイメージトレーニングが出来ると上達も早い筈。
スパーリングでは 相手が格上であれば、自分の得意技を試してみるのも良いだろう。反対に相手が格下であれば 得意技を封印して苦手な技を多く試してみるのは どうだろう。
ジムワークの基本
ジムワークの基本は先ずはあいさつである。
空手等の武道と違ってキックボクシングは自由で良い反面、本当にあいさつ1つできない者が多過ぎる。
別に無理に誰とでも上手く付き合う必要も無いがあいさつ位は基本である。
あいさつ意外にも最低限の礼儀作法を心得る事。使った用具は元に戻す、体臭には気を付け、清潔にする、爪は相手に危険なのでコマメに切る、等色々あるが頭では分かっていても結構、忘れがちである。
今の時代、他人に奉仕する心というのは皆無になっている。先ず心を磨くというのが私の理念でもある。
ジムの行事を手伝ったり、他人のミットを持ってやったり、気が付いたらアドバイスしてやったり、ゴミを拾ったり、とできる事はいくらでもある筈だ。そんな小さな心が世界を変えるのだ。
トレーニングメニュー
トレーニングメニューは自分に合ったモノを自分で試し見つけていくしかない。私の場合、高齢で回復力が弱いので毎日トレーニングをすると かえって逆効果なので回復を考え週2回程のジムワークがベストである。
以下に紹介するトレーニングメニューはフルメニューであり全て行うものではない。あくまでも参考に。
縄跳び
ダイエットに効果的な有酸素運動と身体を温めるのが目的。
ジムで使用する縄跳びは重くかなりきつい。初心者やデブの方は膝に負担が掛かるので最初はエアロバイクをお勧めする。
ストレッチ
関節の可動域を広げ身体を自由に動かせることと怪我防止が主な目的。
身体が温まった状態で行う方が効果的である。毎日行うこと。
シャドー
鏡に映る自分のあら探しをして フォームを矯正する。
一度に吸収できる効果は限界があるので 同じフォームにこだわらずに 色々なフォームをバランス良く行う方が効果的である。
サンドバック
シャドーのコンビネーションをサンドバックで実際に試してみよう。これも色々なコンビネーションをバランス良く行う方が効果的である。
実際に当たる感覚を養い、体力、打撃力も鍛える。
ミット
本気の力で打てるのが このトレーニングの利点である。
ミットトレーニングで重要なのは 本気の力でジャストミートするベストの距離、角度から打つことである。力任せでは効果は薄い。
マススパーリング
最も実践的なトレーニング。このトレーニングは相手が居ることなので礼儀も必要である。足の爪を切り正しく防具を着用し 相手の実力、目的、性格、試合が近いか等、相手を理解し意思の疎通が不可欠である。
相手が格上なら得意技を試し実践的なスパーリングを行い、反対に格下なら得意技を封印し不得意な技を試してみる等 効果的なスパーリングに心掛けよう。
首相撲
試合を目指すのであれば必要なトレーニングである。試合経験が無いとその必要性も理解されにくく はっきり言ってつまらないので プロ選手以外する人は少ない。
先ずはサンドバックで膝蹴りのメニューを取り入れることをお勧めする。
ウエイトトレーニング
筋肉をパンプさせると効果的なので 疲れきった最後に行うのが最も効果が高い。
どの筋肉を鍛えたいのか その目的を理解し 超回復のリズムに乗せ効率的に行うこと。
私は簡単なサーキットトレーニングに留めている。
ストレッチ
最後に行うストレッチは疲労回復の効果もある。
ボスザルのプロデビューまでの道のり
練習生が持つ興味のひとつに「プロ選手になるには」である。
ここでは 私の経験をもとに プロデビューまでの道のりを見て行こうと思う。
プロデビューするには 当然だが プロライセンスが不可欠であり その団体に所属するジムの門を叩くことから始まる。
プロデビュー受験の資格は 団体によっても多少異なるだろうが ここでは私の経験からニュージャパンキックボクシング連盟の例を見よう。
受験資格は17歳から37歳となっている。そして会長が判断し許可することになる。ジムによっては著しく未熟な選手を受験させるケースもあるが 私の通う小国ジムでは定期的に ライトスパーリング大会を行い そこでBクラス合格がプロデビュー受験資格と定めている。
ライトスパーリング
ジムで定期的に行われる初心者対象のスパーリング会。レベルに応じてC級、B級とがあり各級とも審査され 初心者はC級を受け合格すると次回B級の受験資格が得られ B級に合格すると遂にプロテスト受験資格が得られる。終了後 首相撲講座や食事会もある。
相手を倒す事が目的でなく、技を見せることが目的なので強打ではなく、手数を出そう。
C級
2分1R。内前半1分はボクシングルール、後半1分はキックルール。肘、膝攻撃、強打禁止。
B級
2分2R。1R目はボクシングルール、2R目はキックルール。肘攻撃、強打禁止。膝攻撃は顔面は禁止だが5秒間の首相撲が許される。
プロテスト受験
プロテストを受験する場合、ジムのコーチに受験することを言った方が絶対に良い。
コーチもそれなりに教えてくれる筈だ。
試験内容は以下の通りである。
健康診断、計量
簡単な健康診断と 受験する階級のウエイトであるかを計量する。
無理な減量は避け ゆとりある階級を受験しよう。1グラムでもオーバーしたら失格となる。確かに そんな約束も守れないようではプロ失格と言われても仕方ない。
筆記試験
試合ルール等の簡単な筆記試験が行われる。
問題内容は殆ど常識的なものではあるが 念のため連盟のルールブックに目を通した方が良いだろう。
スパーリング
試験のメイン。1分のパンチのみのボクシングルールと 2分のキックルールの計3分のスパーリングが行われる。
気になる採点項目は以下の4項目で 20点満点中 12点以上で合格となる。
攻撃
正確な攻撃が望まれる。
防御
防御はすぐに攻撃に繋げなければ意味は半減する。まっすぐ後ろにさがるのは一番良くない。打たれたら利息を付けてすぐ返すこと。
バランス
一番落ちる項目である。一般的に受験者は緊張して攻撃が単発になりがちである。同じ技に片寄らず色々な技をバランス良く出すこと。
プロ向き度
客を呼べる面白い試合ができるかを試される。一番重要なのは積極性であり存在感のアピールだ。闘いたい気持ちを見せること。辛くても決して顔に出してはいけない。
プロテストに合格したら すぐデビューできるかというと そうではない。それは そのジムの会長が判断してエントリーし マッチメイクを決めるのは団体である。
小国ジムでは 原則として練習試合で2勝することが プロデビューの条件となっている。確かに試合経験が全く無いのに いきなりプロで闘うのは危険であるしお客様にも失礼である。
練習試合
ライトスパーリング同様、定期的に行われる。3分2Rで肘攻撃と顔面への膝攻撃が禁止となっている。
プロデビュー
プロはお客様から金を取るという点から 勝敗はもとより内容が重要となる。
「記念に1回プロに出よう。そうすればハクが着くし自慢もできる」と考える記念ファイターも居るが その道に命を賭けているファイターから言わせれば 理屈抜きで腹が立つものである。私は記念ファイターを否定はいないが ジムはもとより団体の看板を背負うことになるので その責任は感じて欲しい。(私にそれを言う資格は無いが・・・。)
プロデビュー後
| 段階 | コメント | その他 |
| 入門 | 自分の好きな団体に所属するジムに入門するし、基礎体力と基本を習う。 | |
| ライトスパーリングCクラス | 初心者Cクラスのスパーリング審査で合格すると、次回は中級Bクラスの審査が受けられる。(小国ジムの場合) | |
| ライトスパーリングBクラス | 中級者Bクラスのスパーリング審査で合格すると、次回はプロテスト受験資格が得られる。(小国ジムの場合) | |
| プロテスト受験 | 原則的にはジムの会長がOKすれば プロテストを受けられる。 | |
| 練習試合 | スパーリング用のグローブ、レックパット着用で、3分2Rで肘攻撃と顔面への膝攻撃が禁止としている練習試合で試合に慣れる。 | |
| プロデビュー | 練習試合で2勝するか、明らかに実力があると会長が認めた場合、プロデビューとなる。 | |
| 三回戦 | プロデビューすると 先ず3R制の三回戦からのスタートとなる。この三回戦で五勝すると5R制の五回戦への昇格となる。 | |
| 五回戦 | 5R制の五回戦。ここで好成績を収めると、ランカーになる。 | |
| ランカー入り | 更に勝ち続けるとランキングが上がり、ついにはタイトルマッチがマッチメイクされる。 | |
| 団体のチャンピオン | タイトルマッチで勝利すると、その団体のチャンピオンとなる。 | |
| 交流戦 | チャンピオンになると、他の団体のチャンピオンやムエタイ選手との交流戦がマッチメイクされる。 | |
| 世界への挑戦 | この先は世界が相手。ムエタイ、K1等、何に挑戦するかは あなた次第。 |