写真館

   都電の冒険
私は少年期から冒険心があった。
最初に興味を持ったのは自宅近くにある都電の線路を辿って終点までという計画であった。
終点の早稲田駅までは決して遠くはないが小学生の私にとっては未知の冒険であった。
当時の写真があるので今日(2004年5月30日)は 当時の写真の風景は今どう変化したかカメラを持って行ってみた。


昭和44年頃の映像。自宅近くから池袋を見る。
まだ首都高速5号線が工事中で都電17系統が走っている。

今の映像。高い建物にさいぎられ池袋駅を見ることも叶わない。



私が生まれた年に父が独立開業したカメラ会社(秀映社)。
昭和38年頃の映像と見られる。

今の映像。時が流れ父も他界し カメラ店は今はやっていない。



私が撮影した南池袋付近。昭和48年頃。

今の映像。



当時の雑司ヶ谷駅。昭和48年頃。

今の映像。間も無くここも大通りになる計画で立ち退きが始まっている。



千登勢橋から都電を見下ろす。昭和48年頃。

今の映像。ここも間も無く大通りができ一変してしまうだろう。



学習院下駅。昭和48年頃。

今の映像。踏み切り閉鎖時間短縮のため駅の位置が逆になった。
サンシャイン60も望める。



高戸橋。下を流れるのは神田川。昭和48年頃。

今の映像。赤い屋根の家が昔のまま残っているのに感動。



面影橋駅。昭和48年頃。

今の映像。新目白通り開通により当時の面影は全く感じない。



終点 早稲田駅。最初の冒険の目的地に無事到着。

今の映像。旧写真に写っている大きなアパートは今も健在。
写真では見にくいが建物の隙間から僅かに映っている。


当時、早稲田駅を制した私は自宅から逆方向の三ノ輪橋駅を目指したが距離があまりにも遠く帰宅まで夜遅くまで掛かり親に心配掛けたことがある。
しかし映像として残っているのはこの早稲田までの映像のみである。